米を研ぐ、自分を研ぐ

夜の台所で、米を研ぐ。手のひらで米をまわし、水を替え、また研ぐ。それだけの所作だ。

けれど道元は、その所作にまで心を向けた。『典座教訓』には、米を洗うとき、洗う者の心も、米とともに洗われていく、という意味のことが書かれている。米を研ぐことは、米を整えると同時に、研ぐ人自身を整えることでもある——そう読める。

道元が典座という役を重く見た背景には、中国での一つの出会いが伝えられている。八十歳近い老僧が、炎天下にひとり、椎茸を干していた。「人にやらせればよいのに」と道元が問うと、老僧は答えた。他人にやらせれば、それは自分の修行にはならない、と。

料理は、仏に捧げるためのものではない。料理することそのものを、修行とする。「典座は、仏に料理を捧げない」というこの稿のタイトルは、その思想を、筆者なりに一行にしたものだ。

だから、米を研ぐ手は、ただ米を研いでいるのではない。研ぐことが、そのまま行になる。

古い釜と、もう一つの伝統

同じ台所に、古い釜がある。長く、形をほとんど変えずに使われてきたものだという。米の量、水の量、火の加減——変えないからこそ、味が大きくは揺れない。

この台所には、隠元が中国から伝えた普茶料理という、もう一つの伝統もある。それは今も、この台所で作られている。

誰のために作るか

料理は、誰のために作るのか。

同じ献立でも、誰が食べるかによって、本来は少しずつ変わるものだろう。長旅の人と、そうでない人。疲れた人と、そうでない人。作る側の心づもりも、同じではないはずだ。

道元は、典座に求められる心の一つを「老心」と呼んだ。親が子を案じるように、食べる人を案じる心のことだ。

食べる人を思い浮かべないところで、料理は決まらない。作ることは、その人の体に入っていくものを、案じることでもある——本稿では、そう読みたい。

左:黒い椀の朝の粥。右:湯葉を使った普茶料理。禅寺の台所のイメージ。
禅寺の台所がつくる、二つの料理。朝の粥(左)と、湯葉を使った普茶料理の一品(右)。

朝の粥と、食べる音

夜のうちに炊かれた粥は、朝、食堂へ運ばれていく。特別な日の料理ではない。毎朝、欠かさず作られ、欠かさず運ばれる。同じことのくり返しだ。けれど、そのくり返しのなかに、修行があるのかもしれない。

禅寺の食事は、黙ってとられる。礼の声も、私語もない。作る人は厨房にいて、食べる人の顔を見ることは、たぶん少ない。届くのは、食べる音くらいだろう。粥をすする音。椀を置く音。

その音を、作る人はどう受け取るのか。

その問いは、いったん、ここに置いておきたい。

Notes

  1. 萬福寺 — 京都府宇治市。黄檗宗大本山。1661年、明から渡来した隠元隆琦が開いた。
  2. 典座(てんぞ) — 禅寺で食事をつかさどる役。道元『典座教訓』(1237年)が職務の根本とされ、料理することを修行とみなす。老典座の逸話、老心もここに説かれる。
  3. 普茶料理(ふちゃりょうり) — 隠元が伝えた中国式の精進料理。萬福寺の台所に伝わる、もう一つの伝統。
  4. 本稿の立ち位置 — 本稿は、典座という営みを、典座教訓と公開された事実を足場に、筆者が読んだエッセイである。台所の場面は、特定の一夜の記録ではなく、典座の仕事の姿を一般的な所作として描き、思想は筆者の読みとして示した。