I. 干される土
奈良・五条山。秋の夕方。
窯元の方が、まず見せてくれたのは、土だった。
窯のわきに、布を敷いた木の枠が並んでいる。灰色がかった土が、枠いっぱいに満たされ、台の上に重なっている。表面はもう乾きはじめ、ひびのような筋が浮いている。
触れると、ひんやりしていた。指先に、湿りと、細かな粒が残る。
この土は、まだ器ではない。掘られ、水に漉され、底に沈み、こうして干され、寝かされる。器になるずっと前から、土はもう、ゆっくりと変わりつづけている。
低くなった日差しが、土の列を橙色に染めていた。
奈良には、「青丹よし」という古い枕詞がある。良質な埴土の産地であったことに由来するともいわれる1。この丘は、焼き物の産地になるより前から、土の場所だった。
II. 仕事場のなか
工房の中へ、案内された。
土と、道具と、つくりかけの器の匂いがした。
作業台に、筆を挿した筒。描きかけの湯呑みが、板の上に伏せて並んでいる。柱には、手書きの覚え書きが、何枚も貼られている。寸法や焼成温度、納期。
棚には、まだ焼かれていない器がいくつも並んでいた。乳白の釉をかけられ、けれど、火にはまだ入っていない。これから変わるはずの色を、まだ持っていない。
天井の梁から、団扇が一本、吊られている。鳥が一羽、描かれている。
紙の窓から、やわらかい光が落ちている。外では、もみじが色を変えはじめていた。
ここでは、いまも仕事が続いている。器のかたちは、火ではなく、この台の上で、手によって起こされていく。
III. 轆轤と、奈良絵の手
床に、轆轤が据えられている。板の間に丸く穴が空き、その底に、金属の円盤が沈んでいる。脇には、花柄の座布団。長く座られて、中ほどが少しへこんでいる。水を張った桶。古い手鏡。すべて、手の届くところにある。
ここで、濡れた手のあいだから、器のかたちが立ち上がる。
奥では、筆を持つ手が動いていた。白い器に、細い筆で、絵を置いていく。弁柄の赤。緑青の緑。鹿、草、千鳥、小さな花。
奈良絵という2。
見ていると、筆は迷わなかった。一筆、また一筆。同じ絵を、何度も描いてきた手だ。急がない。けれど、止まらない。
少しゆがんだ口も、揺れた線も、そのままにされている。
轆轤がかたちをつくり、筆がその器の表情をつくる。
IV. 窯の前で
窯も、見せてもらった。
工房の奥で、すすに黒く染まっている。鉄の囲いの下に、石を積んだ焚口が、口を開けている。中は暗い。いまは、火が入っていない。
その手前に、薪が積まれていた。割られた木が、断面を上にして、隙間なく並んでいる。乾いた木の匂いがした。
薪も、すぐには燃やせない。割られ、積まれ、雨を避けて、長く乾かされる。火になるまでに、薪もまた、待っている。
そばの鉄瓶が、かすかに湯気を上げていた。
やがて、ここに火が入る。器は窯に詰められ、焼かれる。けれど、火の役目は、つくることではない。すでにできていたかたちを固め、色を起こし、土を石に近づける。それだけだ。
火は、ないものをつくるのではない。すでにあったものを、確かなものにする。
火は、器をつくるというより、器を器にする。
V. 火の前にあったもの
工房を出る前に、もう一度、棚の器を見た。
焼き上がった器が、いくつも並んでいる。白い肌に、赤と緑の奈良絵。鹿が跳ね、花が咲いている。火を通って、はじめてこの色になった器たちだ。
これを見ていると、器は窯の中で生まれたのだ、と思えてくる。
けれど、ここまで見せてもらうと、そうとも言いきれない。火に入っていた時間は、たぶん、いちばん短い。
いちばん長く時間がかかっていたのは、どれも火より前のことだった。土は、何日もかけて干され、寝かされる。仕事場では、手がずっと動いていた。奈良絵は、一筆ずつ置かれていく。薪も、割られてから、長いあいだ乾かされる。火に入るころには、器のかたちも、色のもとも、もうできあがっていた。
棚の器には、その時間がぜんぶ入っているように見えた。土が乾くのを待った時間も、手が動いていた時間も、最後に火を通った時間も。
いちばん長く待っていたのは土で、つぎに人の手が動き、火は、最後にほんの少し通っただけだった。
それでも器を見て「窯の中で生まれた」と思ってしまうのは、火だけが、目に見えていたからかもしれない。
Notes
- 赤膚焼は奈良市・大和郡山市の五条山(赤膚山)一帯で焼かれてきた陶器で、江戸初頭の茶人・小堀遠州ゆかりの「遠州七窯」の一つに数えられる。寛政年間(1789年〜)に郡山藩の藩窯として登り窯が築かれた。「青丹よし」は奈良にかかる枕詞で、良質の埴(はに=焼き物に適した土)があることを示すとも伝わる。(出典:中川政七商店「赤膚焼とは」、Wikipedia「赤膚焼」)
- 赤膚焼は乳白色の萩釉と、弁柄・緑青などで描く「奈良絵」を特色とする。萩釉は天草石・長石・藁灰・アク等を配合したもので、江戸末期の名工・奥田木白(1800–1871)の創意と伝わる。奈良絵は『絵因果経』や御伽草子に由来する図案ともいわれるが、定かではない。(出典:ameblo「奈良の伝統工芸を訪ねて」、中川政七商店、Wikipedia)